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東京高等裁判所 昭和29年(ラ)246号 決定 1955年4月08日

抗告人 申立人 張やす子

代理人 堀込俊夫

主文

本件抗告を棄却する。

抗告費用は抗告人の負担とする。

理由

第一本件抗告の趣旨並びに抗告の理由は別紙記載のとおりである。

第二決定理由

前記抗告の理由及び原審で提出された戸籍訂正許可申請書の要旨を総合すると、抗告人の本件戸籍訂正許可の審判を求める理由は要するに、本籍東京都港区芝高輪南町六十六番地筆頭者多賀満の戸籍内にある抗告人の戸籍記載中に「中華民国台湾省台南県斗六区斗六、六千百三十五番地張済東と婚姻届出昭和二十二年五月五日品川区長受付同二十八年二月五日送付除籍」とあるところ、抗告人は右記載の如く昭和二十二年五月五日当時日本人であつた前記張済東と婚姻し、かかる届出をしたのであるが、その後昭和二十七年四月二十八日、日本国との平和条約発効と共に、夫である張済東が日本の国籍を喪失したとしても、少くとも妻たる抗告人は夫の国籍を取得したことなく、仮りに中華民国の法律が一方的に妻たる抗告人に同国籍を付与したとしても、抗告人は昭和二十五年七月一日施行即ち前記条約発効当時既に施行せられていた現行国籍法第十条の国籍離脱の届出をしたこともなく、同法第八条、第九条による日本国国籍喪失の原因となるべき事由の生じたこともない。従つて前記条約発効の一事によつて抗告人は日本国籍を失う謂れがないに拘らず、抗告人の本籍の存する東京都港区長が前記の如く「……同二十八年二月五日送付除籍」と記入した部分の戸籍の記載は、法律上許されないものであるから、この点につき戸籍法第百十三条によつて戸籍訂正許可の審判を求めるというにある。

よつて按ずるに、本件記録編綴の戸籍抄本によれば、前掲抗告人主張のような戸籍の記載があることは明であつて、右記載によれば、旧戸籍法が施行せられていた昭和二十二年五月五日夫の所在地である東京都品川区長に前記張済東と抗告人との婚姻届が受理せられていたところ、新戸籍法施行後(新戸籍法は昭和二十三年一月一日施行)で平和条約発効後である昭和二十八年二月五日抗告人の本籍の存した東京都港区長に送付せられたので、同区長は除籍の原因が生じたものとしてかかる除籍の記載をしたものと考えられる。

元来除籍は、その原因となるべき届出に基いてなされるものであるが、右除籍の原因たる届出とは、除籍される者が他の戸籍に入り、またはその者につき新戸籍を編製すべき原因となる届出に外ならない。(戸籍法第二十三条参照)従つて除籍は常に、他の戸籍への入籍、または新戸籍編製と相俟つてなさるべきものてあつて、若し他の戸籍への入籍または新戸籍編製の手続がなされていないに拘らず、除籍のみがなされたときは、その者は無籍となり不当な結果を生ずる。この点に鑑み旧戸籍法第二十七条(なお第三十五条参照)においては、入るべき戸籍と除かるべき戸籍とが異なる市町村に属している場合には、特にその取扱の精確を期するため、届書が入籍地の市町村によつて受理され、これを除籍地の市町村に送付された場合でない限り、すべて除籍地の市町村長が除籍の手続をするには、事件本人が入籍地の戸籍に記載された旨の同市町村長の入籍通知を俟つて行うべきものとされていたのである。しかるにこの入籍通知の制度は慎重に過ぎて処理の円滑を欠き、これを維持する実益に乏しいとの見地からであろうが、昭和二十三年一月一日施行の現行戸籍法は、前記旧法の規定を廃止し、除籍地の市町村長は、届書が当該除籍地で受理され、または入籍地以外の他の市町村で受理し送付された場合でも、その届書の受理または送付と同時に、除籍の手続をとるべきものとし(戸籍法施行規則第二十四条参照)、なお新法第百三十条において「新法は、新法施行前の届出その他の事由によつて、戸籍の記載をし、または新戸籍を編製する場合にもこれを適用する」と規定しているのであるから、前記の如く東京都港区長が、新戸籍法施行前に既に品川区長に受理せられてあつた本件婚姻届を、新法施行後(且つ前記条約発効後)送付を受けたので、右新法の規定に則り右送付と同時に直ちに、除籍の記載をしたものであるから(昭和二十三年一月十三日民事甲一七号通達一四項参照)右除籍の記載は法律上許されないものと謂うことはできない。

抗告人はその抗告理由五において、新戸籍法第百三十条の規定を本件の場合に適用することは、抗告人の既得の権利を侵害し憲法第十条以下の規定に違反するから、本件抗告人に関する限り効力はないと主張するが、後に説示する如く、本件の場合抗告人が日本の国籍を喪うや否やは国籍法と前示条約の解釈如何によつて定まり、この点につき別に訴を以てその国籍の有無に関する確定判決を得て戸籍の記載を是正する途があるのであつて、新戸籍法第百三十条は単に新法は新法施行前の届出等による記載にも適用すべき旨を明らかにした規定に過ぎず、本件においてこの規定の適用の結果、新法施行前になされた婚姻届出にも、新法に則り入籍通知を俟たずに除籍の記載をしたのであるから、かかる記載は簡易な方法による戸籍訂正を認めた戸籍法第百十条にいう、「法律上許されない戸籍の記載」に該当しないというに止まり、この除籍記載の一事により終局的に抗告人が日本国籍を喪うものでないことは多言を要しないところである。従つて単なる戸籍の記載方法に関する前示戸籍法第百三十条の規定を、本件の場合に適用したからといつて、これを以て憲法第十条及び同条以下基本的人権に関する諸規定に違反するとは考えられない。

次に本件において(1) 抗告人主張のような理由により、平和条約の発効により抗告人が日本の国籍を喪失するものでないと解すべきか。(2) 或は昭和二十七年四月十九日附民事甲第四三八号各法務局長及び地方法務局長あて法務府民事局長通達、第一朝鮮及び台湾関係(一)及び(三)に示す如く「(一)朝鮮及び台湾は条約発効の日から日本国の領土から分離することとなるので、これに伴い朝鮮人及び台湾人は、内地に在住している者を含めてすべて日本の国籍を喪失する。(中略)(三)もと内地人であつた者でも、条約の発効前に朝鮮人または台湾人との婚姻、養子縁組等の身分行為により、内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じたものは、朝鮮人または台湾人であつて、条約発効と共に日本の国籍を喪失する。」との見解に従い、本件の場合抗告人が条約の発効によつて日本の国籍を失つたと解すべきか。以上の点に関する法律解釈の如何はしばらく措き、若し抗告人主張の如く前者の見解の正当であることを前提とし、凡そ日本に国籍を有する者はすべて日本の戸籍簿に登載せらるべきであるから、日本の国籍を喪失しない抗告人について前記の如く除籍の記載をしたのは、違法であるとするならば、先づ抗告人の日本の国籍の有無に関する身分関係確定の判決を得て、戸籍法第百十六条の訂正の手続による等、他の方法を考慮すべきであつて、戸籍法第百十三条による戸籍訂正許可の審判を求めるのは、失当であると謂わねばならない。思うに戸籍法第百十三条の戸籍訂正の許可は、審判手続で簡易に処理される建前となつているので、戸籍の記載自体より、その訂正の対象となるべき記載事項が法律上許すべからざることの顕われているときか、または戸籍の記載に顕著な錯誤若しくは遺漏あるときに限るべく、或は戸籍の記載自体で明白でなくても、その事項が軽微で、訂正の結果身分法上重大な影響を生ずることのない場合に限り、認めらるべきであつて、(現行戸籍法第百十三条と同趣旨の規定である旧戸籍法第百六十四条に関し大審院判決抄録第六十六巻一四九七三頁及び第六十六巻一四四六二頁参照)訂正すべき事項が戸籍面上明白でなく、しかも訂正の結果身分法上影響の大なる場合の訂正は、すべて身分関係確定に関する判決に基ずく戸籍法第百十六条の訂正手続によらなければならないと、解するのを相当とするからである。以上説示の理由により結局、本件戸籍訂正許可の審判を求める抗告人の申立を却下した原審判は相当であるから、本件抗告を棄却すべく、抗告費用は抗告人に負担させることとし、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 斎藤直一 判事 菅野次郎 判事 坂本謁夫)

抗告の趣旨

原審判は之を取消す。抗告人から東京家庭裁判所になした戸籍訂正申立は理由がある。との御裁判を求めます。

抗告の理由

一、原裁判所は却下の理由として「本件戸籍記載の取扱例の当不当の点は格別、これを違法であるとは解し得ない」としてありますが、戸籍法第百十三条「戸籍の記載が法律上許されないものであること」の規定は「違法」な場合に限らず「不当」なるにより、戸籍の記載が法律上許されないものである」場合も包含する。この点原審判は法令の解釈を誤つたものである。

本件戸籍の記載は、法の明文上の根拠なくして、抗告人の国籍を抹消し以て抗告人の日本国民たる地位資格を剥奪し、国法の保護から除外するものであるから明かに不当である。

二、本件戸籍記載の取扱根拠と思われる「日本との平和条約」(昭和二十七年四月二十八日条約第五号)第二条(b)日本国は、台湾及び湖澎島に対するすべての権利、権原及び請求権を放棄する。」旨の規定の一事のみを以てしては未だ抗告人の国籍抹消の理拠として不充分且つ不当である。蓋し「割譲地ノ住民ハ当然ニ新国ノ国籍ヲ取得スル」との考え方は封建時代に於て土地と人民とは相附着して離るべからざるものと観念した遺習に外ならず、領域高権と対人主権の区別観念明確な今日通用しない解釈である。本件抗告人は日本に於て日本人を父母として生れ且つ生育し引続き日本内地にのみ居住し平和条約発効当時台湾は単に夫の本籍地たるに止り「割譲地の住民」でもなかつた。

三、本件戸籍記載――抗告人の国籍抹消は国籍法上の根拠なく違法且つ不当であることは原裁判所申立書に記載の通りであり、総じて日本国憲法国民の権利に関する規定に違反し、違法且つ不当のものである。

四、原審記録に明かな如く東京家庭裁判所家事調査官雨宮康之助氏調査報告書記載の通り、抗告人張やす子は中華民国の国籍を取得していないのであります。日本親族法・日本戸籍法によりやす子を台湾人と看做すべきが如きであるとしても、事実上やす子は中華民国の国籍を有する者でないのであるから、斯る者を日本法が一方的にやす子を中華民国台湾人なりときめつけて、抗告人の日本国籍を抹殺することは日本国憲法に違反するものであります。日本国民として享有し得る憲法上の一切の保護を拒否する結果となるからであります。憲法第十一条は「国民は、すべての基本的人権の亨有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」と宣言し同第十二条以下之を更に具体的に明規するところである。日本国家は本件抗告人に対しこれ等一切の基水権を奪う結果を齋して居るのであります。

五、抗告人婚姻当時の日本国戸籍法第三十五条は「届出事件ノ本人ノ本籍カ他ノ市町村ニ転属スル場合ニ於テハ入籍地ノ市町村長ハ戸籍ノ記載ヲ為シタル後除籍地ノ市町村長ニ入籍ノ通知ヲ為スコトヲ要ス但入籍地ノ市町村長カ届出ヲ受理シタルトキハ此限ニ在ラス」と規定されてあり、この規定に則り本件抗告人は無国籍人となるわけがなかつたのであるが、現行法は、この規定を設けず、附則第百三十条は「新法は新法施行前の届出その他の事由によつて、戸籍の記載をし、又は新戸籍を編製する場合にもこれを適用する。」と規定したので本件抗告人の如き無国籍人が発生する結果となつたものである。原審は、右戸籍法(新法)第百三十条を盾に本件戸籍の記載――即ちやす子の国籍抹殺を違法でないとしているが、国籍法を無視して単に戸籍法だけでもつて日本人の国籍を左右し得べき筋合のものではない。やす子は婚姻当時の戸籍法(旧法)第三十五条により無国籍人とされる虞のなかつた既得権を有するものであるから、改正法たる現行法第百三十条は、本件抗告人に関する限り無効――即ち相対的無効である。上述の如く不法に抗告人の基本的人権を奪い憲法に違反するから同第九十八条により無効である。憲法第九十八条は「この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。」と規定する。現行戸籍法は、旧法第三十五条のような明文がないからとの理由で、本件抗告人の如き場合、いとも簡単にその者の日本国籍を抹消し無国籍人を生ぜしめるものとせば、この点に関する限り戸籍法は、憲法第十条以下の規定に違反し、同第九十八条により無効であります。

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